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2011年02月25日

Snowbound

 以前、ふとtwitter上で、あるお方と、Donald Fagenのソロアルバムの会話を交わしまして。
 アルバム「Kamakiriad」にある「Snowboud」という曲のよさを改めて再確認。思い出して今週のヘビーローテーションになっています。

 僕自身も忘れておりましたが、このサイトの主旨は「スティーリーダンのファンサイト」です。
 決して山本輔の個人露悪趣味ブログではございません。

 下のYoutube動画はオリジナルではなく、FourPlay演奏のもの。
 Guitarはラリーカールトン御大。軽やかで歯切れ良い音色。

 本当はこういう曲が似合う30代になりたかったんだよね。
 今はマキシマムザホルモン的30代になってしまってます。
 それはそれで好きなのだけど。ノーメイク風呂へ 気分はスター・ラメ 。


 かみさん曰く「似合いたいのであればスマートさが1500%足りない。とにかく痩せろ。12kgほど」。



 今日は以前から懇意にしていただいている方と3年ぶりに再会。大手町でランチ。
 3年ぶりの再会のどこが懇意なのかと言われそうだけれど、今はこのブログ含めコミュニケーション手段がたくさんあるからね。本当にいつもお世話になってる方なのです。

 この方は、ずっとこのブログも読んでくださっていました。そして僕も、この方のブログなり日記を読んでいて、常に共感をもって日々を過ごしていました。

 この方のブログも「自分の言葉で語っている」事がよくわかる文章が連なっていて、本当に楽しく読ませていただいていました。(僕のは言わずもがなの駄文ですが)

 この「自分の言葉を語る」文章をお互いに読んでいると、旧知のように思えてきて、ほんの2時間ほどの語り合いでしたが、とても優しい時間を過ごせました。久々にお会いしたとはいえ、そこまでに積み重ねてきたこの言葉群が、お互いの心象を近づけてくれるものだと、改めて実感しました。

 佐々木俊尚というジャーナリストが、新書で「キュレーションの時代」を謳ってましたが、お互いに「自分」というコンテンツをもって共感で繋がる、この小さくも固いつながりの連続性と重要性を感じます。

 そう、僕がブログを続けている一つの理由は、これなんです。
 デンマークの友人こますけのときにも書いたけど、長年の物理的空白を、ブログが埋めてくれているのです。(ただこの話は今日の本題で無いので割愛。)

 久々にお会いしましたが、素敵な女性です。
 気風がよく、感情を受け入れて、これまでのヨシナゴトを含めた自分を愛情で満たしている方との会話、本当に楽しかったです。
 人見さん、本当にありがとうございます。


 大人になって、ヨシナゴトを受け入れていくと言うことの重さを、時にふっと考えます。
 大人になると言うことは背負うものが増えてくると言うこと。自分自身、気がつけば不思議と背負ってるものが増えている感があります。へらへらしてたのに。(へらへらしてたから増えたともいえる)。


 Snowboundは、「大雪に閉じ込められた」と言う意味。
 Snowboundの心持さえも、上記の曲のように、軽やかに美しく表現していきたいです。

背負うものと面と向かうと、閉じ込められたような心持になるときもありますが、そういうときこそ、歩んできた道を笑い飛ばせる強くて優しい仲間達とともに、軽やかに飛びぬけていきたいです。

 
 やっぱりこの曲がBGMに映えるオトコになりたいです。
 なぜ皆さん首を横に振ってるんですか。

この記事書いた人 x-10 : 2011年02月25日 02:32



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