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2013年01月15日

今年の抱負

 今日は成人の日でしたね。
 よどんだ天気で、皆さん大変だったかと思います。

 自分の事を未だに成人だと思った事がないのですが、これもヒトエに「成人式に出なかったから」と信じています。信じていると言うかそこに責任転嫁をして大人の責任を回避しようというずるい企みを持っています。

 19年前の成人の日(当時はまだ1月15日が成人の日だった)、僕は当時、片思いだったクラスの同級生と一緒に僕の下宿で試験勉強をしていた。二人、一つのコタツ机に並んで勉強していたのは、いい思い出だ。勉強は所詮一人でやるモノ、二人でやって身につくものは何も無いと思うが、その時も僕はただどきどきしてるだけで勉強した内容を全く覚えていない。とりあえず二人でフランス語の辞書を引き合った事だけ覚えている。

 実家に戻って成人式に参加する事も無く、僕はただ青春の一日を過ごしていた。甘酸っぱくも、淡い時間。そうして僕は、成人になるけじめに参加することなく、未だに青春の日々を引きずったままの中年になってしまった。僕にとって成人の日は、その子との試験勉強の思い出だけだ。東京都保谷市にある下宿、コーポしらかば。気持ちのいい冬晴れの、昼下がりの事だった。

 そんな19年前を経験し、未だに僕は成人の日の報道を見ると、その時の事を思い出す。世間の式典に参加する事も無く、ただ個別に淡いストーリーを紡ぎ、二人だけの世界に埋没してた。僕の非社会性、閉鎖的自己性は、こんなところに端を発している。

 まあ、そんな話はいい。過去を振り返っていても仕方ない。
 今日は、僕の「今年の抱負」

 あまり抱負や目標、というものを立てること自体が得意じゃないし、また好きじゃない。それは、ある「目標」に向かって何か行動を起こす、ということに不向きな事を意味する。

 不思議に思われる方も居るかもしれないが、僕は「目標」という言葉が苦手だ。
 目標に向かって頑張る、達成するために尽力する、そういう生き方に、あまり興味が持てないのだ。
 じゃあ、一体どういう生き方をしているのだ?と言われるだろう。僕はいつも「ただ毎日、自分の価値観を外れないように、その日その日を生きる」ようにしてると答える事にしている。

 イメージとしてはこうだ。
 僕は、この世の中を広大な海のように捉えている。
 海には、もちろん波もあれば、潮もある。
 それなりにたゆたっていれば、どこか新天地にたどり着くかもしれない。着かないかもしれない。

 目標を立てる人、というのは「今年中にこの海を越えてあの島にたどり着く!」と決める人だ。そして、実行としてそのために泳いだり船を漕いだりと、行動を起こして達成に向かう。

 僕はそれ自体全然否定しない。大変素晴らしい事だと思う。

 誰も見つけたことの無い新大陸を見つけるぞ、と大海原を漕ぎ出す人も居れば、今年はこの湾を渡りきろう、と堅実な目標を見据える人も居る。

 その中で、僕はちょっと違う捉え方を、してしまうのだ。
 海は、広い。そして波と潮が有る。
 この中では、僕の泳ぐ力、僕の持つエンジン、風を読む力、なんてものは、本当に些細なものだ。いくら泳いだって、潮の流れが向く方向にしか、流されない。
 じゃあ、僕はどこにたどり着こうと言う目標は立てない。それは、潮と波が決めること。僕はあくまで、沈んでしまったり、死んでしまったりしないように、日々の身なりをしっかりする事。そして天気を読み、災難を回避する事。そして大事な事、誰かと一緒に出会ったときは、その人と共に漕ぎ出してみる事。

 その中で、僕は将来、新天地か、南国の島か、極北の地か、あるいは大海原のど真ん中か、どこか「ご縁」のあるところにたどり着いて、そこで暮らせればいいと思っている。行きたいところは、決めてない。目的地を決めることは、大海原に逆らうことを意味し、僕の中で「不遜」な事とさえ思っている。

 僕にとって大事なのは、日々を安息に生きること。そして義理とご縁を大事にする事。そしたら、世の中の流れ、潮流が、きっと僕をあるべき流れに乗せてくれると信じているのです。自分で流れに逆らって泳いだりする事はしないし、流れに逆流した目標を立てたりすることもしない。あくまで、どこに行くかはお天道様が決めることだと思っています。

 そんなことをベースにして。通底認識とした上で。
 そんな僕の、今年の抱負「チャレンジしない。飛躍しない。」です。

 「また山本は(以下略)」「もういい大人なんだからそういう捻くれた事は(以下略)」「そういう目立ち方を狙うのはあまり(以下略)」というお叱りの言葉を沢山頂きます。ええ、解ってます。解ってます。

 でも、僕は今年、そういう抱負を持ち、活動していく予定なのです。

 どうしても新年の抱負、というと「チャレンジ」「飛躍」という言葉が並びます。うん、みんな前向きで、とてもフレッシュな気持ちに溢れた大事な抱負だと思います。

 でも、僕はそこに疑問を感じてしまうのです。
 飛躍するためには、一度しっかり踏み込まないといけない。今年一年を掛けてしっかり踏み込む事で、次の1年に飛躍する距離を広げたい。3ヵ年計画くらいで、そういう考え方があってもいいじゃないか、と思っているのです。
 そして、去年僕は、踏み込みが充分だったとは思っていない。このまま飛躍しようとすれば、ちょっと脚力の足りない、弱い飛躍にしかならないだろう、という気がしています。

 そう、僕は3カ年計画で「チャレンジと飛躍」を考えています。その中での今年は1年目。そこでは、芋虫のように栄養を溜め込み、チャレンジの方向性、方針性を決める時期でもあるのです。

 チャレンジしない、と言っていても、今年も既に5つの試験を受ける事を決めていますし、友人と大きな挑戦を踏み出す可能性も持っています。一般的に見たら充分なチャレンジと受け取られるかもしれませんが、僕にとってこれらは「飛躍のための仮説と検証」を繰り返す期間だと考えています。

 受ける予定の試験は、今も学び続けている中国語についてのもの、そして、これから始めるある国家試験的なもの、です。

 中国語の試験は、受けること自体は決してチャレンジじゃありません。日々の生活を淡々と、そして耽々と過ごす中で、身についたものをチェックするだけの事です。むしろ、合格して認定されたら、その後こそが人のお役に立てるかどうか、チャレンジになると思います。それは、多分あと1年はかかるでしょう。
 もう一つの国家試験は、これもこれからの自分を見据えて身につけたいと思った方向性のものですが、こちらも今年中に合格しようという気はありません。今年中にベースを築き、次の年に合格を狙う予定で進めています。

 因みに、昨年末に受けた中国語の試験、なんと満点で合格しました。ちょっと嬉しい。皆様ありがとう。このペースで今年も着々と進めていきたいと思ってます。

 その意味では、どちらもチャレンジというよりは、日々の生活の延長上にある実験、という段取りです。

 もう一つの、友人との大きな挑戦も、どうなるかわかりません。これもご縁が決めてくれることです。海の潮流が僕を大きく流してくれて、羽ばたかせてくれるのなら、それは抱負とは関係なく、僕は飛翔するつもりでも居ます。こんな抱負でいいのかしら。

 今年は、しっかり根を掘る年。30代の最後にあせらない。40代をしっかり迎えるにあたって、僕は今年を落ち着いてすごそうと思っています。皆様、よろしくお願いいたします。


海のたとえが出てきたので。
今年の抱負の基となるのは「G.T=Grand tourismo 大航海」です。
坂本龍一から一曲。

この記事書いた人 x-10 : 2013年01月15日 00:12



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