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2013年01月16日

自分の頭を健康に保つには、恒常的に読んで書いてを繰り返して便通を良くする必要がある(少なくとも僕は)。

今日は千葉。駅と月。

 実に単純な事ですが、脳みそも「お通じ」があると思います。

 昨年、ひたすらに読書を続けた時期がありました。学生時代から久方ぶりに活字に飢えた感覚を取り戻し、延々と貪るように読書を続けたのですが、その結果どうなったかと言うと、全く会話が出来ないコミュニケーション不全なオッサンが出来上がりました。

 あ、前提として、会話の質と読書量って、相関性があるように見えて実は全く無く、スマートな会話が出来る人は元から会話できるし、読書をどれだけ重ねても、操れる言葉はそんなに増えていかない、と思っています。

 僕は基本的に会話が得意ではありません。若い頃はそれでも可愛げで何とか世の中を渡れるものですが、この年になるともうこれはただの粗大ゴミです。人と正対すると「えー、あー、うー」しか言えない僕は、ああこの人は頭が可哀想な人なのだなぁ(外も中身も)と思われながら、静かにフェードアウトされるのがオチです。

 そんな僕が会話力について語るのはとっても面映いですが、まあこの話を始めてしまったから続けます。話術とは、畢竟、運動神経と反射神経に尽きると考えています。

 相手の会話の間や声色、語尾の韻律をコントロールし、相手との時間感覚を綺麗に一致させる事が話術の要、語彙なんて究極「ヤバくない?」「マジぱねぇ」だけで会話が成立している御方々をみてもわかるとおり、ある一定ラインまでのコミュニケーションには必要ないものだと思います。

 で、翻って、僕はそういう時間間隔、リズムを相手と合わせて会話するという事が本当に出来ないのです。呼吸を合わせる、というのか。相手が話し終わるタイミングやその次に発しそうな声色を察知し、阿吽の呼吸で次の言葉を発する、もちろんその言葉は相手の発した言葉の返礼になる内容をきちんと含んだものとして。

 そう考え始めると、対話なんて本当に怖くなるのです。どうやって相手と会話すればいいのでしょう。何を発すればいいんでしょう。どのタイミングで声を出せばいいんでしょう。腹に力の入らない変な声が出ないようにするにはどうすればいいんでしょう。

 考えれば考えるほど会話はできなくなり、どんどん気持ちの悪いオッサンになり下がっていくのです。でも、仕方ない。今更気持ちの良いオッサンになろうとも思ってない。こんな僕と会話してくれる人たちだけの閉鎖的なコミュニティの中でひっそりと邪魔にならないように生きていくようにします。

 まあそれはいい。それはいいとして。

 活字に飢えた半年、というのを経験してみて、感じたこと。
 読めば読むほど、言葉が整理できなくなるのです。

 このブログを読んで頂いている方はご存知かもしれませんが、僕は昨年、一旦会社をお休みし、24時間休養中の生活を少し続けていました。当時は体調もよろしくなく、全く活字が読めない時期もありました。でも、ある程度回復し、もう復帰しても大丈夫だろうという頃合を過ぎたにも拘らず、色々訳あって復帰までの期間、予備期間、復調期間のように自宅待機をしていた頃合があったのです。

 その頃は、読めなかった頃の反動か、活字に飢えるように読書を延々と続けてまして。
 むしろ時間はいくらでもあるからどこまでも読み続けるわけです。でも同時に、社会とは断絶して自宅待機しているわけですから、誰とも会話する事も無いのです。(かみさん以外)

 僕以外の方はどうなのか解りませんが、少なくとも僕に関して言うと、入ってくる文章量が多いわりに整理できる脳みそが追いつかないと、どんどん消化不良になっていくんですよね。そして、それを思索する時間(整理する時間)を取れるのならまだしも、飢えたように延々読み続けると、どんどん未消化物が溜り、更に状況が悪くなっていきます。

 これが元々読み手としての力が強い人(消化力の高い人)ならば、そんな事は無いのでしょう。どれだけでも読んで読んで読みまくって、それでも吸収できる人、というのが居る事も知っています。回りにもそういう強靭な読み手が多数居りました。で、僕も若い頃それなりに読む力を鍛えたつもりになっていたので、飢えた気持ちをそのまま本にぶつけて、読み漁ってみたんですね。

 そしたらまあ、読む力の弱っている事といったら。
 本の咀嚼力がまるでなくなってる。本を読んだら、一度置いて、考える時間を同時間だけ持たないと次の本が読めないという状況に陥ります。

 そして、糞詰まりのように言葉に捕われる。何も言えなくなるし、何も書けなくなる。同時に、論理的な思考(元々出来ないけど)が更に出来なくなってくるのです。何かを考えたら同時思考的に紐づいたキーワードが現れ、それに捕われて次に広がっていき、ロジックとは全く無関係な方向に思考がスター状に分裂していくのです。

 これ、精神分裂の五歩くらい手前の状況じゃなかろうか、と自分で感じました。
 いや、自分としては別に困った事にはなってないのですが、多分僕の回りに居る人が「こいつは何を話しているか解らん」「こいつは頭がおかしいんじゃなかろうか」「はげている」と困惑する状況が簡単に想像つくのですよ。

 でも、一旦その状況に陥ると、もう思考も出来ないんですね。思考するとすぐマーブリングや花火のように飛び散ってしまい、思考の整理が出来ないのです。

 その状況をどうやって打破するか、と言うと、もう僕は端的に話すか書くか、どちらかの方法で、アウトプットしながら思考を整理させていくしかないな、と思ったわけです。

 もちろん、書ける内容、話せる内容もまとまって無いから、支離滅裂。一種の現代アートかフィネガンズウェイクかと思うような無節操な文章しか出せなくなっているのです、でも、仕方ない、詰まったうんこは排出する以外に助かる道は無い。どんな姿だろうが、出すしかない、と、思い至ったのであります。

 そう思ってから書き始めるまでも相当時間が掛かっているのですが、まあとにかく書く事で頭の未消化分をクリアしていかない事には、僕は糞詰まりで死んでしまうぞ、と、まあ、そう思ったわけです。それで、ココ最近はブログを延々と書き続けているわけなのです。

 その意味では、今このブログに上がっている内容は、まだまだ未消化のウンコの塊で、まだまだ便秘が収まったばかりのどうしようもない内容である事は重々承知。でも、一旦出さないと次が繋がらないのです。

 そんなわけで、ココ最近は長いブログ記事が続いてしまうかもしれません。皆様ご了承くださいませ。今度僕にお会いする方は「このうんこ野郎!」と罵声を浴びせてください。

この記事書いた人 x-10 : 2013年01月16日 00:48



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